全国大会


令和5年度の第47回全国居合道連盟全国大会は、広島にて無事開催されました。
 
六月十日:全国居合同連盟昇段審査(六段以上) 
      広島県立総合体育館にて午後二時より行いました。
六月十一日:第四七回全国居合道連盟全国大会  
      広島県立総合体育館にて朝九時より行いました。

令和六年度の第四八回全国居合道連盟全国大会は、令和六年五月に開催予定です。
皆様におかれましては、各地区連盟の理事を通じて、連絡がいくと思われますので、詳しくは理事にご確認ください。よろしくお願いいたします。


全国居合道連盟は、昭和五一年の連盟発足以来、毎年五月に全国大会を開催しています。昭和五三年第三回大会より、京都 本能寺会館において、五月四日、五日の二日間開催するのが恒例となっておりました。
しかし、令和二年より本能寺会館の建て替え工事のため、またその後に発生したコロナパンデミック過のため開催が二年延期になっておりましたが、令和四年五月四日に広島県立総合体育館サブアリーナにて開催することができました。令和五年の第四七回全国居合道大会は、広島サミットの影響もうけ、六月十日、十一日に広島総合県立体育館武道館にて、無事開催できまいした。
本大会も全国居合道連盟の二百名を超える会員が、全国各地より参加いたしました。
第四七回大会は、初日の午後に六段以上の昇段審査が開催され、二日目に居合道五段以上の段位者が、日々鍛錬の成果を発表すべく演武大会を開催します。なお全国大会のハイライトは何といっても、地区代表選手による代表選抜試合です。
毎年、熱戦が繰り広げられます。



昇段審査


※本連盟段位並びに称号審査における受審制限年数は次の通りです。
 なお五段以下の段位審査については、各地区連盟において行います。 本部推薦の特進もあります。

初段

満十四歳以上又は中学校ニ年生以上であること。
ただしこの場合、二段受信年数に制限あり。

二段

特に規定なし。各地区の規定に従う。(飛び審を含む)

三段

特に規定なし。各地区の規定に従う。(飛び審を含む)

四段

三段資格受有後一ケ年以上経過すること。

五段

四段資格受有後一ケ年以上経過すること。

六段

五段合格後二ケ年以上経過すること。

錬士

六段合格後二ケ年以上経過すること。

七段

錬士合格後三ケ年以上経過すること。

教士

七段合格後四ケ年以上経過すること。年令35歳以上であること。

八段

教士合格後五ケ年以上経過すること。年令45歳以上であること。

範士

八段合格後五ケ年以上経過すること。年令55歳以上であること。連盟への功労により推挙。段位称号審議委員会にて承認後、授与される。

九段

範士受有後五ケ年以上経過すること。連盟への功労により推挙。段位称号審議委員会にて承認後、授与される。


令和元年度 称号段位審査 筆記試験 解答例


あなたが受審される称号・段位の允可を受けるには、何が必要と考え、どのような修行を積んでこられましたか。具体的に述べてください。


六段受審 北陸地区 K・N


この度 六段を受審するにあたり、今まで以上に理合を深く研究、理解した上でそれを実際の所作に正しく自然に反映させることが必要と考えています。
そのためには練習場での稽古を増やすことも考えましたが、片道2時間をかけて通う現状では現実的ではありませんでした。試行錯誤した結果、日常生活や仕事の中での動作の際に目付、丹田呼吸、手の内などの概念を意識するようになりました。
例えば日常業務で内視鏡を扱う際にも、両手指より極力余分な力を抜き、軽く持ち、また検査中の姿勢も下半身を安定させた上で上体を動かすことでぶれがなくなり、検査件数を増やしても疲れにくくなる事に気づきました。また内視鏡を体内に挿入する際の動作にも今まで無意識に手を動かしていましたが、自分自身と被験者の呼吸のタイミングを意識するように変えてみました。長年の習慣を少しづつ変えることは頭で考える以上に難しい事ですが、実際に変えてみることで動作と動作の間が途切れず水が流れる如く自然になり滑らかになったと感じます。
居合は日本刀を理合に従い運用する武道ですが、日常の身体操作や器具の操作にも理合があると気づかされます。この気づきの発見は居合の理合を深く理解することにも繋がると考えています。
これからも諸先生方の御指導を胸に、居合道への精進をたゆまず続けていきたいと考えています。


七段受審 高知地区 K・O

七段受審においては、六段受審の時必要」だった業の勢い・威力に加えて仮想的に対して厳しい業を行うことが必要である。厳しい業とは、ただ業の想定に基づいて仮想的に対処する事でなく、仮想敵を逃がさない隙を与えない攻めの業であるとともに、
仮想敵の咄嗟の変化にも対応できる柔軟な業でもある攻防一体の業であり、それを行うためには呼吸と体構えが肝要であると考える。
まず呼吸については、抜き付け 打ち下ろし 血振るい 納刀全ての動作の中で意識せずとも息を止めることなく、自然と呼吸できるよう稽古することは勿論、一つの業の中においても仮想敵の動き間合いは常に変化することを意識し、呼吸の緩急により何通りもの間の詰め方で業を行うよう稽古を行った。
体構えについては、一つの動作を行った際常に居着くことなく次の動作がすぐに行えるよう体軸を崩さないことと、重心が前後左右に偏ることの無い様常に中心に保つ事を意識して稽古を行った。以前より私は抜付けや打下ろしの際 前傾する癖があった為、軸を崩さない事を特に重点的に稽古した。また全ての業の体構えは初発刀に共通する為、業の中で動きのおかしい居着く部分は初発刀に立ち返って体構えを確認した。
以上の点から緩急自在に仮想敵へ対応できるようになる事が、仮想敵に対する厳しい業となり、それを磨く稽古を心掛けることで業の凄味に繋がっていくと思うので今後も益々意識して稽古に励みたいと思います。

七段受審 高知地区 A・S

最強の七段と言われているように強さが求められているのだと思います。
今まで稽古をしてきた中で型から内容を学んで強さに結びついていかなければならない。強さとは剣の勢い、特に剣先のパワーとスピードが重要だと考えられる。剣先のパワーとスピードを産み出すには型から学んだ体術が必要とされる。
私が稽古をしてきた内容は、足腰の張り、内股、お尻に力を入れて不動の足腰(
土台を作り)腰がふらつかないようにする。上半身の姿勢、背筋をまっすぐにうなじを整える。下丹田に力を入れ胸を張り肩を落とす。手の内は剣を持つではなく、握り締めるでなく、手の内の輪郭で持つ。肩、肘、手の内を関節としてとらえ、剣を体の一部としてとらえる。手の内の締めは、龍ノ口で挟んで、親指を擦り込みながら小指締めて、手のひらは窪みを作る。(抜き付けの場合は、手の内を締めてひねりを加える。両手の場合は、両手を人拳として使う)
剣先のパワーを得るには、体重を剣先にのせていく。身の内の中でセンターにある重心を剣先の行く方向へ、できるだけ体勢が変わらないようにかけていく。
例えば初発刀で言えば、抜き付けと打ち下ろしは、右膝に一瞬体重がかかるように重心移動をするようにしている。抜き付けにおいて、上半身の張り、手の内を締める。一瞬 肩甲骨をガシャーンと引っ付くようにして胸を張っていく。顔は前に突き出さない(顔を前に突き出すと肩が上がり、力が逃げる)左腕の肩、肘は(三角の曲尺)、手のひらは腰に密着させて、剣先の作用に対し反作用で張りを持たせていく。あくまでも軸は背骨。肩関節から曲げると力がにげる。肩が上がっても同様。
息づかいは、下丹田で息をし、吐く息に気をのせ、剣をのせていく。
一部例に挙げましたが、振りかぶりの時とか、身を引く、囲う、納め、残身には実と虚。臨機応変な身のこなし、しぐさ、立ち居振る舞い、目配り、目付などいろいろ要素があるが、初発刀の抜き付けの一部で書いてみました。
そういう事に気を付けながら、頭の中で考えるよりも体が先に動くように稽古をしてきました。

教士受審 中国地区 I・S

私が居合を始めて今年で34年を迎えます。一年が経った頃難病を患い、2年以上も稽古ができませんでした。今日まで何回もの入院、大腸摘出手術を行うなど難病と闘ってきました。でも居合を辞めずに今日まで続けてやって来られたのは、病に打ち勝つ「すべ」を居合の稽古を通して培うことができたからだと思います。
長年、居合の稽古を積んできても思うような居合が抜けません。稽古では師匠から「切っ先が高い。体軸がぶれている。敵がいない。説明的な居合になっている」と指導を受けます。体の構えや運剣の仕方など敵を想定した技術や精神力が自分の業として修めきれていないのです。課題としている稽古は「抜き付け・斬撃の鍛錬」です。
全身全霊を込めて刀を抜き、嘗中の冴え、鞘引き、丹田、剣先を一体化させることです。次に「仮想敵」を意識した居合を抜くことです。自分では敵を想定していても十分理解ができてなく業に表れていないのです。稽古では常に敵との間合いや位置取り、気魄や目付、体の動きと刀の動きが途切れないことが仮想敵のいる居合が抜けるのです。敵の動きを実際に想定して演じたり、体の軸を意識するよう体に棒を挿したり、バランスボールで鍛えたり、ビデオで撮って観たりするなど稽古の工夫を行ってきました。また習うだけでは修行になりません。師匠から習った業の術を研究・工夫して反復する一人稽古も行うよう心がけています。
今年2月の地区講習会で、居合の眼目は「正・速・強・」である。正しい刀捌きの上に相手を想定した体使いと運剣の速さが大切である。それが練磨されると強さが出てくると指導を受け稽古を続けています。稽古の質を向上しなくては業の上達に至りません。いち早く道場に行き掃除を行い気運をたかめること、生気をもって稽古に励むこと、精神の集中と気魄のある居合をする事が己の業の上達と品格を養う修行になると思います。本連盟の発展維持のため、組織の一員として寄与することも修行の一つと考えます。

教士受審 関東地区 K・K

「教士」とは自己修練をかかさず、確固たる信念をもって指導できる者、として解釈しています。
自己修行として4つをあげます。
第一として「居合道と剣道の連携」を目指しています。両者は車の両輪であり、表裏一体としてけっして異なったものではありません。基本的な構え、姿勢、確実な手の内により、精神を統一して油断なく、竹刀、真剣をもって修練することにより、精神面もさらに高められると思います。
第二として「呼吸」を意識しています。剣道の気合イコール居合の“ムッ“(無)という呼吸となり、呼吸を整え丹田に気を込め心身の力を抜き、無心の気合を発するよう心がけております。
第三として「観る」こと、人間の顔、右脳、左脳を見ると、感情表現は右脳が処理しています。体の左を右脳が、また右を左脳が支配しているのは周知のことですが、相手を攻撃しようとする意志も顔の左の眼に表れます。相手に対して切っ先を咽あるいは左目につけ、相手の左目を観ることにポイントをおいております。
第四として確実な「手の内」を目指します。特に右手、剣道ではけっして強くは握らない、しかし“力“を入れない右手の締め、柳生新陰流の「龍ノ口」を学び、左眼、左手、左腰、左足、さらに右手の手の内を意識して、気剣体の一致した斬撃力、静から動へ、動から静への動きで手の内も確実となり、魂の入った居合となります。
古流としての居合道、我が流派である荒木流軍用小具足の正確な伝承に務めてまいります。

八段受審 高知地区 T・Y

・「掟を守る」と「伝統を支える」と考えます。
 
・各業、型には掟があります。 御宗家、各先生方、先人の方々に教えを求め、記憶記録し、自己での鍛錬の時は繰り返し「これでもか」「これでもか」と身体に覚えこませ、次にその業型の掟を正しく理解し、体現できるように努めています。
 
・伝統を支える。 江戸時代中期より土佐に伝わった居合を次世代に伝え、支える事が私の責務と考えて、道場鍛錬の時は勿論、道場以外での教えも記憶記録するようにしています。それが先代現代御宗家、各先生方、先人の方々が大切な時間、ご労力を費やして私に居合をご教授してくださった皆様方々への恩返しと考えています。無論到達はまだまだですが一生続けることが「この道」と思いますので今後もお導きをお願い申し上げます。


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